2012年 デントン先生永眠記念墓前礼拝報告

 12月21日(金)長得院にて 11時~

総長、学長、女子中高校長、幼稚園園長、学校関係者、同窓生多数のご出席のもと、デントン先生墓前礼拝を挙行いたしました。

全員で黙祷後、讃美歌404番「送別旅行」を唱和しました。

東佐久良評議員が聖書朗読と祈祷を行い、奨励は小池ミチ子姉が、デントン先生と讃美歌「やまじこえて」という題でお話し下さいました。

礼拝終了後、寒梅館内セカンドハウスでの昼食会は小池ミチ子姉を囲んでお話が弾み和やかに歓談しました。
                         

                                                                                            行事委員長 出野公子

 デントン先生は、1947年(昭和22年)12月24日に永眠された。 同窓会は、毎年12月24日に永眠記念礼拝を行っている。今年は、24日が振替休日になったので21日の金曜日に行われた。当日は例年になく寒さが緩み、時々薄日のさす穏やかな一日だった。

 先生の墓所は、同志社大学の北側にある相国寺の塔頭、長徳院にある。墓石は、こじんまりとした日本式の型で表正面に大きく十字架が浮き彫りになっている。南を向いて立っており周りの植え込み木立の緑が染み込んだようにうっすらと苔むしているように見える。先生のお墓の右側には、先生と共に長くお暮らしになった星名ヒサ先生のやや小さな墓石が並んでいる。

  今年の記念礼拝の奨励は、同窓会松山支部長の小池ミチ子姉によりおこなわれた。小池姉は、1952年に松山東雲学園から同志社女子大学英文学科に入学され、1956年に卒業された。2001年松山城南高等学校教諭を退職された後、数々の社会奉仕活動をされ、同窓会松山支部長職をになって頂いている。
 
 奨励は、「デントン先生と賛美歌・やまじこえて」と題して行われた。デントン先生については同窓生の良く知るところだが、同志社と松山の繋がりの一部を数名の人物を通して語られた。
 
 星名ヒサ先生は、末光三郎の三女として愛媛県西伊予に生まれ、同志社女学校、英文科に学んだ。1901年に愛媛県吉田町生まれの星名謙一郎と結婚し、ハワイ移住、父の看病のために帰国、夫のブラジルへの単身赴任、永眠などの紆余曲折を経て1913年にデントン先生からの依頼で子供と共に京都に移るまで松山で暮らした。
 
 銅銀松雄(どうぎんまつお)は、1907年愛媛県西宇和郡に生まれる。1931年京都府警察官となり1945年特高警察官となる。太平洋戦争開始による日米関係の悪化により依託休職となりデントンハウスに住まうデントン先生を訪問する。共に暮らしていた星名ヒサ先生が同郷人と知り親愛に情を持って接した。またお二人のキリスト教信仰に基づく生活と愛にあふれた人となりに大きな感銘を覚えたという。 1975年(昭和50年)同志社創立100周年記念に際し、Documentary「デントン先生と一警察官」を刊行し「私の追慕してやまない在天のデントン先生と星名ヒサ先生に栄光いやまさんことを祈念して拙い書を捧ぐ」と書いている。住谷悦治総長は、読後感を「本書は小さくともユーゴーの「レ・ミゼラブル」、ロマンロランの「ジャン・クリフトフ」や「魅せられたる魂」などの大著に涙を流したのと同じです。全同志社人のみでなくて全日本人の必読の本と思います。」と手紙にしるしている。
戦時中、パージにかかり京都を追われ松山に住まわれた住谷先生と特高の銅銀さんと目にみえぬ繋がりに不思議さを覚える。

  讃美歌404番「やまじこえて」の作詞者である西村清雄(にしむらすがお)は、1871年愛媛県松山市にうまれた。1888年同志社英学校に入学。3ヶ月で退学。大阪で英語を学び宮川経輝牧師のもと信仰生活に励んでいた頃、新島襄先生に出会い将来伝道者になりたいと思っていた。1891年松山教会で二宮邦次郎牧師のもと、松山女学校の教師である宣教師コーネリア・ジャジソンと協力して夜学校を開校した。1899年宇和島伝道を始めたジャジソンを応援するため三つの峠を越えて宇和島へ4回往復したという。その3回目の帰路、1903年讃美歌「やまじこえて」を作詞し最初の讃美歌409番として入れられた。1904年に再び同志社神学校へ入学した。松山に戻った後、教会、夜学校、女学校のために働いた。夜学校の生徒たちは、西村とジャジソンの献身的な働きと深い信仰と暖かい愛に導かれ、同志社神学校へ入学した者たちが「松山バンド」と呼ばれた。
 
  小池姉は、松山出身者と同志社のつながりを何人かの人生に目を向け、同志社の創生の頃からの歴史と共に丁寧な語り口で興味深くお話くださった。神への信仰と愛のため人と社会に貢献する人生を歩まれた先輩たちを持つ同志社人であることを誇りに思うとともに自らのこれまでの歩みを顧みた。
 小澤 惠
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