◆ ちょっとお知らせ ◆
My Favorite 井上靖「後白河院」
2012.05.11
今回の記事は、HP委員会より、38年高卒の下谷祝子 さんに依頼してご執筆いただきました。
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余程本好きと知られているのか「書評」のコーナーに、今時のもので、ただし最近出版されたものは新聞等に載るので、その辺は避けて「何か」とのこと。
NHKの大河ドラマは毎回ドラマそのものへの好みとは別に、そんな時代があった事を思い出し、書店にはこの時とばかりに「関連書」が並ぶのが、楽しみである。
そんなことで今年の大河ドラマ「平清盛」がらみで「今どき」ではあるが「ずいぶん昔」に出版されたものをとりあげてみた。
井上靖著 「後白河院」 筑摩書房 昭和47年発行
胎頭してきた武家勢力に抗して天皇・公家による政治体制の維持に孤軍奮闘した後白河院の「人となり」を、その時々に近くにあった4人が往時を語っている。
最初が保元・平治の乱当時、蔵人であった堂上平氏の平信範。
自分を帝位につけ、皇室内の確執も摂関家の内紛も一挙にかたづけた信西にむける院の「目なざし」に、以後続く平治の乱、院政の復活を予感しているし、 次の建春門院(後白河院后・高倉天皇母・清盛妻時子異母妹)に仕えた藤原俊成女は高倉帝即位、徳子入内と平家一門全盛期、表面の華やぎの底にざわめいていたものが、女院崩御を機に「重しが取れたように」騒がしい時代へと雪崩れて行く様を案じている。
三人目は院の執事として「院に二心なき人」と評された峻厳な能吏の吉田経房だが、清盛逝去、平家西走、義仲入洛・敗死、平家滅亡、義経失脚と、源平の争乱を逆手に宣旨・院宣を朝令暮改的に乱発して切り抜けようとした院を「武断の政はどのようなことがあっても排さねばならぬ。・・・・院はそのようなことをなさるためにお生まれ遊ばされた方と申し上げていいかと思う」と支えている。
最後に、九条兼実(関白・かつて平信範に保元平治の事を聞いた)は後白河院崩御の後「武人という武人は一人残らず院にとっては敵というべき存在」であった「後白河院は六十六年の生涯ただ一度もお変わりにならなかった」「ただ口からお出しになる言葉だけを、方便として、その時々に依ってお変えになっていらしたまでのことである」「ただひとりでお闘いになり、結局はお勝ちになったのである」と。
源頼朝から「日本国第一の大天狗」ときめつけられたのは後白河院にとってはある意味面目躍如たることではなかっただろうか。
突き放したような乾いた文体に、かえって後白河院への思いが籠っているような感じがする。
38高 下谷祝子
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